2012年 06月 08日

偶然・・だけどきっと必然


ちょっと長いので、聖書について興味のある方は読まれてくださいね。
そうじゃない方は、スルーしてください。

今朝、体が思うように動かなくて布団から出られず
仕事を休んだのは、↓の記事の通り。

鬱になって、通勤拒否を起こしてしまう人って、こんな風に始まるんだろうか?

って、ぼんやりと天井を眺めながら、どのタイミングで起きようかと思っていたときに、
メールが届きました。

私の通っている教会で、自分が所属している、”働く女性の会”の方から。
(ご存じな方もいらっしゃると思いますが私はクリスチャン。)

教会付属の幼稚園に息子が通っていた時一年年上にお子さんがいらした方で、
教会でも挨拶程度。
”働く女性の会”でも、私は籍を置いているものの、あまり出たことがないので、それほど
親密に交際している方ではない方からのメールでちょっと驚いたのですが、

”お体いかがですか?今日配信された聖書の御言葉、送りますね。”

と、彼女が日々デボーションのために配信されているメッセージを転送してくださいました。
(デボーションとは、「静思」「静聴」「黙想」と言われます。クリスチャンが日々暮らしてゆく
原動力を得るために、聖書の御言葉が書かれたテキストが用いられることが多いのですが、
最近はインターネットでも配信されたりして購読できるものもあるようです。)


谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり・・(ルカ福音書 3章5節)


主は「私は道である。」と言い、ヨハネは「道を備える者」だといいます。
人々が主イエスという心理の道を歩むために、道路工事をするのがヨハネの仕事でした。

道路工事の仕事は、谷を埋め、山と丘を削り、曲がった道を直し、かつ滑らかにします。
それは、罪に苦しむ者(谷)を引き上げ、高慢な者(山と丘)を引き下げ、価値観を正し(曲がった道)、
不義や不平等(でこぼこ)を直す、とも受け取れます。すなわち神の基準を示し、
人々をこの基準に連れ出すことです。
人は、人生の基準(神)と、方向が違う(罪)ことを知らなければ、自分がどこにいるかすらわかりません。
そのために、ヨハネは貧しい人々に悔い改めの洗礼を授け、ヘロデの罪を指摘し、律法学者たちと
戦いました。


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すごいタイミングで驚きました。

生きていると、楽しい事と同じくらいしんどいこと、苦しい事、

も~、どうしたらよいの??って困惑してしまうこと、どん底に気分が落ちてしまうことがあります。

でも、試練とともに、そこから救いあげてくれる人の優しさや言葉、本、絵画、詩、

いろいろありますが、ふと与えられるものがあります。

それは、まさしく神様が、今の自分に与えてくださっているものなのだと思わされます。

その方を通して、神様が救いの手を差し伸べてくださったなと思ったのでした。

謝謝



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by xxluffyxx | 2012-06-08 22:24 | diary | Comments(2)
Commented by さっち at 2012-06-12 08:48 x
ただただ感激。このブログを読んだ私も、神様のお導きがあったのでしょうか。大人になると辛いことばかり子供が成長すると悩みばかりで投げ出したい気持ちになります。人と関わるのも怖くなったり。でも、頑張ります。ふみさん、お体気をつけてくださいね。
Commented by xxluffyxx at 2012-06-12 19:45
さっちさん

読んでいただいて嬉しいです。
本当ですね~。
”人とかかわるのも怖くなったり・・。”分かります。
でも人によって傷もつけられるけれど、人によって癒されるのも事実ですよね。


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